きのこのへや

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2006/11/20(月) 
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」 村上春樹&安西水丸 (朝日新聞社)
お友達に貸していて、6年経って戻ってきた。もう忘れていた。

村上春樹に世間の人たちがぶっつけてみた282の質問と、それに対する村上春樹の答えがひたすら並べられた本。知らぬうちにシリーズが3冊くらい出てるみたいですね。すごいや。

久々に読むと、282もの質問の一個一個に味わいがあって面白かった。なかなかしんどい質問もあり、見なかったことにしたい質問もあり。そうしたいろんな質問に、村上さんはときには真剣に、ときにはてきとーに答えている。この緩急の具合がなんだかいい感じ。


2006/11/12(日) 
「クマムシ?!」 鈴木 忠 (岩波科学ライブラリ)
■クマムシ?
 クマムシは、昆虫ではなく「緩歩動物門」という仲間の生き物だ。ちなみに、人間は脊索動物門。体長は1ミリ未満。コケのなかに住んでいたりする。4 対の足で、体の前半を大きく振りながらのこのこ歩き、その姿は「クマ」にたとえられる。愛嬌のある姿は、世界的な生物学者のドーキンスも自著で「ペットにして飼いたい」と漏らすほど。そのかわいらしさとは裏腹に、乾眠状態に入ると、極低温や超高圧、「レンジでチン」に耐えるという驚異的な力も持っているという。
■クマムシ?!
 この本は、生物としての生涯や特徴などを1冊にまとめた、「一般向けとしては最初の」クマムシの本。飼育の苦労話、18世紀にさかのぼる文献から取られた多くの図版、研究の歴史、“伝説”の真偽など、読み応え満点だった。本の随所に著者のクマムシへの思い入れが見え隠れして魅力的な本です。著者は2000 年にクマムシにはまり、そのままクマムシの研究でコペンハーゲンの研究所に行ってしまったという人物。本書では一節を「クマムシはなぜかわいいのか」というテーマにさくほどクマムシにぞっこんの様子である。ちなみに著者は、路上でゴールデンレトリバーが散歩して歩いてくるのを見た瞬間、クマムシみたいにかわいいな、と思うらしい。なんかヘン。
■「クマムシ?!」の著者略歴の面白さ。
 最後に、ちょっと注目したいなと思ったこと。それは、クマムシそのものではなくてこの本の著者略歴だ。一体この人は、現在何をやっている人なのか。どんな身分で、どこに所属している人なのか、著者略歴からは、まったく分からない。どうやらこの著者略歴は「興味関心/“はまったもの”の歴史」らしい。そしてこういう著者略歴の書かれ方がこの本には非常に適っている、という気がした。

そんなわけで著者略歴からクマムシの実態まで、おもしろさが詰まっている本でした。


2006/11/11(土) 
「裏庭」 梨木香歩 (新潮文庫)
―その生きる形。―

梨木香歩の本の中で気になる言葉に「仕事」という言葉がある。非常に日常的な言葉なのだけれども、それがなんともいえない独特な意味合いを帯びているように感じるのは私だけだろうか。

「裏庭」は「仕事」という言葉が繰り返し登場する物語だ。
裏庭の世界では、人に限らず動物や尋常ならぬ生き物もまた仕事を持っており、意識的であるか否かを問わず、その仕事を皆が果たそうとしている。さらに言えば、そこに出てくる「仕事」とは、端的には「その生きる形」といえるようだった。とりわけ、「仕事」のうちでも「職」と呼ばれるものは、他の誰にも出来ない、その者だけの固有で特別な仕事を意味するようである。

主人公の照美(テルミィ)という女の子もこう言っている。「ここの世界の仕事という言葉は、その生きる形、のようなものなんだ、と分かってきた」。

自分の「仕事」とは一体何なのだろうか、とふっと考えた本。今もわたしはその仕事を果たしているのだろうか。


2006/09/23(土) 
「花のレクイエム」 辻邦生×山本容子 (新潮文庫)
新刊で出たときの帯の言葉が、なんとなく良かった。
「思い を胸に
   秘めたまま、
 運命 を生きる
  あなたに贈る。」

なんとなくね。
花の名前に導かれた12の物語と銅版画。花にまつわる、花を巡る、花のある風景で生きる人たちの物語だった。辻邦生の描き出す女の人たちは、物静かに情熱を生きている。


2006/09/17(日) 
「小川未明童話集」 小川未明 (新潮文庫)
小川未明の作品というのは、どうも、知らず知らずのうちにわたしの周りにあったらしい。「赤いろうそくと人魚」は影絵の劇団で見た。旅人の話は、絵本で読んでいた。「金の輪」は美しいけど、未だに怖くてたまらない。好む好まざるに関わらず、妙に刻み付けられる作品が多い。


2006/09/17(日) 
「神戸在住」 木村 紺 (アフタヌーンKC)
 東京から神戸に引っ越してきた女の子、桂は、ちょっとしたことに心揺るがし、そよがせる。詩のようなマンガだなーと思った。あれやこれや、あの人やこの人や、あそこやここや、―どれも神戸―が現れてくる。

 阪神大震災について描かれたマンガ、と大括りにして紹介されることも多いみたいだけど、ここに描かれているのは「神戸」なんだなあ、と思った。


2006/09/14(木) 
【映画】キリクと魔女
すごいアニメ映画だったけど、特にこんなやり取りが印象的だった。

キリク  :お祖父さん
お祖父さん:なんだい?
キリク  :魔女に立ち向かうお守りもらえない?
お祖父さん:だめだ
      おまもりがないのがお前の力だ
      魔女はお守りの世界をよく知っている
      だからうまくだませるのだ
      守られていると思って用心しない人々を
      反対に魔女はどうしてよいかわからない
      裸の無心さの前では
      いつも目覚めている自由な知性の前では
      キリクわたしがついている

一番心細いとき、こんな言葉が身に染みる。「おまもりがないのがお前の力だ」。


2006/09/12(火) 
「葬られたる秘密」 小泉八雲
青空文庫携帯書房で読む。

短篇。たんすのなかに女の人の秘密はあるのでした。なんともいえない空気が良い感じの短篇でした。


2006/09/10(日) 
【映画】スウィング・ガールズ


2006/09/09(土) 
「魚の憂鬱」 薄田泣菫
青空文庫携帯書房で読む。

明治期の人の文章とは、と驚く。何気ない話が何気なく話される。こんな文章が書けたらいいなあ、と思った。今日一日、地下鉄などで時間をもてあますと、この文章を読んでいました。他のも読んでみよう。


2006/09/08(金) 
【映画】「サマリア」 (監督:キム・ギドク・2004年)
映画。
ひとりの少女がいつもの笑顔のまま、ホテルからとび降りた。共にお金を稼いでいたもうひとりの少女は、「片割れ」の少女の罪滅ぼしに、それまでの客にお金を返していくことを思いつく。
ひとりの少女の死から、罪と罪滅ぼしの連鎖が始まった。

二人の女の子が可愛かった。くったくない笑顔がとっても可愛い。秋の風景がまたたまらなかった。
韓国で出ているDVDは表紙は日本語版とは違っていて、それがまたちょっと良かった。


2006/09/06(水) 
「食卓の向こう側〈3〉給食 未来をひらく」 西日本新聞社「食 くらし」取材班 編著 (西日本新聞社)
ときどき、小学校で給食をいただくことがある。別に期待しているわけじゃないけど、給食をいただけると、とてもうれしい。事務の先生から「給食が食べられないとさびしそうだね」といわれた。まぁ。こっぱずかしい。

西日本新聞では、「食卓の向こう側」という特集が連載されています。たまにわたしのおなかを満たしてくれる九州の給食事情を追いかけたシリーズがこの巻です。
結構面白い。
「給食が子どもの命のトリデ」というのには、ちょっとやられた。どこかで以前にも聞いたことがあったから、なおのことやられました。

シリーズが全部で6冊出ている。それぞれも面白そう。
リンク
西日本新聞社食卓の向こう側


2006/09/05(火) 
「古今和歌集」 (岩波文庫)
今日は古今和歌集巻第四「秋歌 上」の歌を読んでいく。

藤原敏行の秋立つ日よめる歌が最初に来ている。やっぱりこの歌、好きだなあ。

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

夏、と思ったら秋でしたーという。秋は本当にそのようにやってくる。
プール当番をやっていると、お盆があけた途端、本当に風が涼しくなるのが分かる。日差しはとんでもなくきついのに、風はぐっと涼しくなるのだ。
もうちょっと典雅な世界の話のような気がするけれど、実感として、肌に感じられることが時代を隔ててもこれだけ変わらないという感動があった。

次のつらゆきの歌をとばして二つ続きで。

わがせこが衣のすそを吹き返しうらめづらしき秋のはつかぜ

昨日こそ早苗とりしかいつのまに 稲葉そよぎて秋風のふく

この次の歌から、七夕オンパレード。


2006/08/26(土) 
「教育研究のメソドロジー:学校参加型マインドのいざない」 秋田喜代美・恒吉僚子・佐藤 学 編 (東京大学出版会)
去年からぼつぼつ読んでます。(おーい)
そして未だに読み終わらない。

帯には「学校に関わり、教室をいきいきと語る」とあった。
学校に絞り込んだ研究方法の本。教育心理学研究の書評でも紹介されていた。「学校-参加-型-マインド」というのがこの本のキーワードである模様だが、それがぼんやりとしていて、近そうであって、自分自身にとってはしかしものすごーく遠い心構えのような気がしている。


2006/06/25(日) 
「ささら さや」 加納朋子 (冬幻社文庫)
なんか今、テレビで「てるてる あした」とドラマをやっているらしい。NHKのドラマの「てるてる家族」とごっちゃにしていたが、これとそれとは違うらしい。
原作者は「ななつのこ」とか「魔法飛行」とかでおなじみの加納朋子でした。「てるてる あした」と姉妹編をなしているのが、この本らしく、紀伊国屋書店にごっそり並べられていた。
この人の本の中では、「水曜日の水玉模様」が好きだな、とあらためて思った。


2006/06/17(土) 
「精神のコスモロジーへ」 ミンコフスキー (人文書院)
 今に限ったことじゃないのだけれど、「何かのため」「誰かのため」の活動や、「何かを立ち上げる」活動や計画が身の回りに多くて、かまびすしい。

 目的に向かおうとする求心力は、たしかにすごい。何かを成そうとするときに傾ける思いや情熱もまた、物事を動かす大きな力になる。そういう力や勢いを、私もよく知っている。それは私にとって、ずっと親しみのあるものでもあった。

 だから、その求心力を否定もしないし、肯定もしない。

「けれども、」と、但し書きをつけておこう。
そればかりではないのだと。答えも、あり方も、活動や計画や目的に向かう求心力の中にあるとは限らない。
“生とはつねに一つの運動とは限らないし、ましてや計画などではない。その傍に、静かに行われる、一人一人の人間が自分のなかで、自分自身について成し遂げうる仕事がある。そして、人間はときには自分だけでその道を見出すのである。香りのような雰囲気がわれわれのまわりにある。自分自身に対するのと同様に他の人間に対する義務を完全に遂行しながら、こうしたものを尊重することがいまや求められているのである。”
 この文章が書かれたのが1936年。皮肉なことに、この言葉は今でもまだ新鮮だ。
 自分についても他者についても、静かに行われる、各自が成し遂げうる仕事に耳を傾けながら、私の「仕事」を考えたい。目的に向かうのでもなく、なにかを成そうと活動したり計画したりするのでもない、そんなあり方も確実にあって輝きを放つのだと。

 そう思えることもあっていい。


2006/06/09(金) 
「修禅寺物語」 岡本綺堂 
源頼家の修善寺幽閉の出来事は歴史のなかでも印象深いものだった。

最期の父娘の会話に、なんだかもう、ぞっとした。


2006/06/04(日) 
「長江」 加藤幸子 (新潮社)
 物語は生後一ヶ月の子どもと生後1年の子どもが見た世界から始まる。一方は長江のほとりをごとごとと馬車で揺れられるなかで、一方は北海道で人生を開始した。そのふたりがほんの少しの間、中国で交叉する。その前、その間、その後の二人の人生。
 二人の人生がくるくると切り替わり、視点が切り替わり、不思議な感覚になった。ただいま、同著者の「夢の壁」を読んでいるところ。


2006/05/27(土) 
「手紙、栞を添えて」 辻 邦生×水村美苗 (朝日文庫)
 辻邦生と水村美苗が,往復書簡で本について、ものを書くということについてやりとりする。

 往復書簡って好きだ。なんとなく好きだ。この二人は一度も対面することなく、往復書簡を始め、続け、そして終えた。会いたいけれど、会わないほうがいい。会いたいけれど、会わなくても充分だ。往復書簡に流れている、剥き出しではない仄かな憧れや優しさや尊敬や幸せを感じて、読んでいる私も幸せだった。


2006/05/26(金) 
「秋の花」 北村 薫 (創元推理文庫)
同じ著者の「盤上の敵」は辛い話だった。「秋の花」も、どうしようもないくらい辛い話だった。「秋の花」には、敵も終盤もない。ひとりの女の子が死んでしまったという事実が、厳然とそこにある。ただ、ひとりの女の子が死んで、もうひとりが抜け殻のようになってしまう。
 もうひとりの女の子の世界が一変するその様子に、めまいを覚えた。


2006/05/24(水) 
「六の宮の姫君」 北村 薫 (創元推理文庫)
「円紫さんと私」シリーズ。
卒業論文を書き始めた「私」。

芥川龍之介の「六の宮の姫君」は「キャッチボール」だった

というある作家の一言から、「私」は、作品・往復書簡・書評などを通して昔の作家たちの世界を探偵し始める。
芥川龍之介と菊池寛はそれぞれまったく別の道を歩んでいった。その二人のまぶしい春の時代の交叉に涙が出そうだった。


2006/05/22(月) 
「自閉症とことばの成り立ち」 小林隆二 (ミネルヴァ書房)


2006/05/21(日) 
「実験動作学:からだを動かすこころの仕組み」 成瀬悟策 (現代のエスプリ別冊)


2006/05/08(月) 
「精神病理学とは何だろうか」松本雅彦(星和書店)
 障碍を抱える人、障碍を抱えること、を考えるとき、それにまつわる本を読むとき、何かと登場してくるのが「診断基準」「DSM-Ⅳ-TR(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」「ICD-10(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems 10th Revision )」とか、何とか。精神医学とか、精神病理学とか、神経生理学とか、何とかかんとか。よくわからんなーと思いながら、また、どこか気になりつつも、あまり丁寧に勉強せず、ほうったらかしにしていた。なじみの無いことばの羅列と、診断名の羅列にどこかうんざりしたからかもしれない。もともと関わっていた療育と疎遠になったことも背景にあったように思う。

 時は経って、もう最近は「診断」とか「DSM」「ICD」とかからすっかり縁遠くなった、と思っていた。ら、意外なことに最近になって、別の側面からこういうキーワードと出会うことになった。よっぽどご縁があるのだろう。修士論文も書き終わったし、ちょっとのんびりできるようになったので、このご縁を大切にするという意味を込めてここらへんのキーワードを一通りお勉強してみることにした。
 この本は、精神病理学の歴史を展開して見せようと試みるものだった。精神医学を専門にしていない人、その周辺分野にいる人にもわかりやすいように、と心配りしている。実際読みやすい。著者自身の見方が多分に入っているだろうことが窺えた。読み手によってはその点で、いろいろ批判があるかもしれない。けれども、ピネルから始まってわりと最近の動向までざっと見渡せたのが、よかった。また、精神病理学という分野自体が常に自分の足元を自分自身で揺るがしながら考えている姿も見えてきて、面白かった。


2006/04/17(月) 
「村田エフェンディ滞土録」 梨木香歩 (角川書店)
「私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない。」

テレンティウスの言葉をセネカが引いたものらしい。

 100年前、日本人留学生村田がある時期を土耳古(トルコ)で過ごした。身を寄せた屋敷では、宗教も主義も、思考の道筋も全く異なる人たちが同居していた。そして、屋敷そのものも、多くの記憶や神たちを深く眠らせていた。
 その滞在の記憶が、土耳古からやってきた鸚鵡と共に、遠く日本に戻った村田によみがえってくる。
 で、結局感想としてはどうかというと、・・・一言では言えない。二言でも言えない。
国も宗教も主義も、背負ってきた歴史にも、土耳古のその時期には互いに寛大だった。あるとき、ある一点を越えると、その寛大さが崩れ落ちていく。その寛大さも、寛大さの崩壊もまた、確かに「わたしに無縁なこと」ではないはずなのに、どちらも私を越えたなにものかのような気がする。こういう一人の手に持て余してしまいそうなものを、一個人としての私はどうしたらよいのだろうか。


2006/04/07(金) 
「ぐるりのこと」梨木香歩(新潮社)
 この本は、ものすごく贅沢な本だ。と思った。
 白い表紙に白い帯。そこに横切るようにタイトルが入っている。残念ながら、私はこの贅沢なまでの白さを、かばんや自分の手垢で早々と台無しにしてしまった。それでもなお、この本の白さに対するとき、慎重に触らなくては、という思いを引き出される。
 「西の魔女が死んだ」を初めて手にとって以来、けっこうこの人の本は追っかけのように読み続けている。今回の本は、物語ではない。この人の随想録だ。このタイトルである「ぐるりのこと」は、梨木香歩さんがある人の話をうかがう中で、どきっとした言葉にちなんでつけたということだった。わたしも、「ぐるりのこと」という言葉にはどきっとして、何か上手く言い当てているものがあるような気がした。
 丹念に読むというよりは、ちょこちょこ開いては、合間を縫って読んでいる本だけど、結構どきっとする言葉にあちらこちらで出会い、ときには涙。ときには感激で興奮。その言葉のいくつかをここで抜粋してご紹介したい気持ちに駆られた。
けれども、それらの言葉を抜粋してここで紹介したところで、今この記事を奇特にも読んでいる方に、その言葉と出会った時の感動は伝わるはずもない、と思う。それに、自分の気持ちの動かされようを伝えるには、わたし自身の丁寧な思考がまだまだ足りていない。
 まずはわたしはわたしとして、その丹念な思考の積み重ねをしていきたいと思う。ちょこっとでもこの本に興味をもたれたら、ぜひともまずご自身でこの本を手にとって、その贅沢な白さに感動し、さらに中身とご自身の出会いのなかで、ご自身として心動かされるところを見つけて欲しいな、と思った。


2006/04/02(日) 
「ダ・ヴィンチ・コード」 ダン・ブラウン (角川文庫)
ミステリーのあらすじを喋るのは無粋だと言うことなので、中身は伏せておきますが、面白かった。

わたしはなかなか「名画」の題名を覚えない。でも、ずーっとこの本を読み続けたおかげで、いくつか覚えた。ダ・ヴィンチの人体図にちゃんと名前があって、「ウィトルウィウス的人体図」というのだと初めて知った。 ふーん。

このストーリーの中では、同時に二つの面が進行していく。
ひとつは「何かを為そう」「何かを突き止めよう」として派手な展開を見せる面。もうひとつが長く守られてきた秘密と、静かにそれを見守る人たちの面。この対照的な二つの面が魅力的でした。

最近はやり物ばっかり読んでます。なんかさびしい。そろそろ自分から発掘しに行きたいところ。


2006/03/24(金) 
「病因論研究-心身相関の医学-」(ヴァイツゼッカー)


2006/03/17(金) 
「神戸在住」


2006/02/26(日) 
「女子中学生の小さな大発見」清邦彦 (新潮文庫)
「Oさんは万歩計をつけて寝てみました。朝までに12歩、歩いていました。」

 私は、万歩計のレポートを見て、すぐにこの本を買うことを購入することにした。
 理科嫌い、理科離れや分数の出来ない大学生が注目されて、新聞なんかで取りざたされていた時期に新潮文庫から出てきたこの本。理科の先生が中学生たち(女子校)にちょっとした理科のレポートの提出を求めた。出てくるわ出てくるわ、おもしろいレポート。

「Mさんは、この冬手術で摘出した生々しいものの写真を提出してきました。」

「Nさんはアユの解剖をしました。おいしかったそうです。」

 こういう素朴な報告を読んで、たまにへらへらしてます。



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