2002/02/25(月)
「増補〈私〉探しゲーム」 上野千鶴子
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上野千鶴子なんて、予備校にいたころは知らなかった。でも、大学入試問題の演習で、このひとのこの本の序文にあたるところを読んだとき、なんだか涙が出そうだった覚えがある。 ポストモダンといわれる今、何をどうしたら脱近代で、どうしたら新しい目を持てるのか、肩に力を入れて考えたってだめなのかもしれない。そう思わされた。 青年期はアイデンティティの確立が必要で、と言われる中、わたしは予備校生で、私らしさなどと言う意味もなく、そして本当にしたいことを見つけるにはまだ時間が足りないと焦っていた。 私らしさ、自分を見つけると、良く言う。今までの教育はひとそれぞれの良さなどかまわなかった、と良く言う。個性を生かす教育が必要だという。個性が際立つ時代だともいう。しかし、わたしと他の人とは、それほどの差があるというんだろう?どれほど個性とは際立つものなのだろう。個性が生きる時代が、そんなにそれぞれの人にとって生きやすい時代であるのだろうか。個性尊重ということを悪いこととするわけではない。 しかし、何かがいつも引っかかる。すくなくとも思えるのは、個性を尊重してもらえる世界は、生きやすいかもしれないが、楽な世界ではない。決していつも仲間がいてくれる、といった世界ではない。ときに孤独な世界でもある。 | | |