2007/07/19(木)
「明恵 夢を生きる」 河合隼雄 (講談社+α文庫)
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はじめて読んだのは高校生のときだった。いまいち読みきれず、難解に感じられることも多かったが、とにかくそのときに読んだ。本書で展開される明恵の「夢記」の解釈と明恵の生涯の夢と現の交流の様子の理解ももちろんだったが、この「夢を生きる」という考えに触発され、高校生のころから夢の記録をとるようになった。 明恵は鎌倉時代初期の華厳宗の名僧である。上下貴賎の信望を集めたと言われる僧だが、19歳の頃から生涯にわたって夢を記録し、それを自ら解釈した僧としても有名である。
■「夢を生きる」とは 夢の解釈というと、何か占いじみたものを連想する人も居るかもしれないし、ユングやフロイトの夢解釈というのを連想する人もいるかもしれない。この著者自身、ユング派心理療法を日本で確立した人でもある。河合隼雄によると、明恵は夢解釈を行った、というよりは、むしろ「夢を生きた」といったほうが的確だという。明恵の夢の解釈とは、その当時の仏教などに由来する夢の解釈の方法や説に沿って解釈をすることではなく、夢と現を行き来しながら、生涯を深く生きることそのものだった(ユングの考え方はむしろこのような実践そのものなのだと河合隼雄はいう)。 したがって、「夢を生きる」とは、自分の夢を傍観者として「見る」のではなく、それを自ら進んで「体験」し、深化して自らのものとする態度(p44)そのものであった。
奇しくもこの文章の下書きを作ったその日に、河合隼雄さんが亡くなった。高校生にも読める文章で本を書く、と言っていた河合隼雄さんの意図のままに、わたしも高校生の頃にこの本を読んだ。そして、自分なりに夢を生きつつある。 | | |