写真は22日宇品港のチュンたち。絵日記のページなのに、今回は文章だけでお伝えいたします。 22日はまずミッションの一環で、「あき書房」のお店に訪問。話には聞いていたが、すさまじく小さくて狭くて本でぎゅうぎゅうのお店だった。うっかり私の服や鞄が本棚に触れてしまい、たくさん本や資料を棚から落としてしまって、しかもどこから落ちてきたのかわからないために困り果てる。奥さんに手伝ってもらってお片づけし、しばらく二人でおしゃべり。その後、広島から呉へ、瀬戸内の海から渡った。夜はまた船で戻って広島の平和公園をお散歩した。
何度目かの広島の旅で、少しずつだが、地名と町並みと路面電車の路線や駅名が頭に入ってきた。歩道から駅への入り方がよくわからずアタフタしていたところから初めて、動きも少しずつスムーズになってきている。特に平和公園あたりから海のほうまで。都市地図も持ち歩くようになり、ホテルでもお店でも電車の中でもガサゴソ広げて読んだり、道を教えてもらうときもガサゴソして一緒に見てもらったりして、これにかなり助けられた。
今回はミッションありの広島行き。呉行きも、広島市内のお散歩も、翌日のミッション遂行へ向けての準備運動みたいなもの。どこに行っても、今回のミッションの話をちょっとするだけでいろんな資料をくれたり、大事なものを見せてくれたりして、本当にありがたくてありがたくてもうどうしたらいいのかわからなくなっちゃう。
23日は「ダマー映画祭inヒロシマ」に。目的は片淵須直さんのワークショップ(WS)だが、最大限楽しもうと思い、かなり早い時間に会場に乗り込んだ。
まずは「夏休みの地図」という映画から。
この映画は、数年前に教えてもらった作品。
当時はまだ撮影すら始まっていなかった。それがちゃんと映画の形をとって自分の前で上映されているということがなんだかもう、とにかく驚き。出演していた助演の子が、特段おしゃれな格好をするでもなく、普段通っている小学校の(ヨレヨレの)名札をつけてリュックをしょってうろうろしていたのも、なんともよかった。
ひとくぎりしたところで片淵さんのWSへ。このとき、皆実町のちょっとすさまじい古本屋さんの「あき書房」店主の石踊さんと合流。初対面でどんな人かわかるかなあと不安に思っていたが、前もって電話でお話したとき、石踊りさんから「大丈夫、大丈夫。会場狭いしね、太っちょの変なおじさんがいたらそれが僕だから」と言われる。果たして、ほんとにすぐわかった(!)。
そのまま一緒に片淵さんのWSへ。
片淵さんのWSは、こうの史代の「この世界の片隅に」のアニメーション映画を作っていく過程――特にそのリサーチの過程――を、ほんの一端ながら紹介してくれるというもの。坦々と写真を映し出しながらお話されるので、最初は「???」となっていたが、じわじわと意味がわかってくる。
「この世界の片隅に」は、第二次世界大戦前から戦中の広島・呉が舞台である。これらの舞台は、戦火で町並み自体がなくなってしまったところも少なくない。しかし、その今はない町を歩く人の一人ひとりが、どこかからどこかへと向かって何かのため、誰かのために歩いていた。また灯りのひとつひとつが、そのときどきの生活を照らし出すものだった。それがあるとき、突如として失われてしまう。その失われたひとつひとつを再度きちんと掘り出し、そのときのように当たり前にあるように――つまりそのときの「世界」として描くことへと向けて、執拗なくらいに古い雑誌や新聞などにあたって資料を収集し、そこから少しずつ描き出す作業を始めていた。
小さな変化や、人の姿や物や事柄の在る形から、世界のあり方を汲み取るという仕事。そして一見瑣末に見えることを見逃さない用心。それは、私自身の「かくあれかし」であった。場は違っていても、このような仕事をしたい、と私も思う。
片淵さんの「この世界の片隅に」の仕事は、その進み行きをほぼリアルタイムでTwitter(@katabuchi_sunao)や、Webアニメスタイルの「1300日の記録」という連載で読むことができる。
原作もすごくいいけど、このアニメーション映画はすごくいい作品になる。「ぜんぜんまだできていない」らしいけど、もう確信できてしまう。作品が発表されるその日まで、つぶやきや記録を読みながらうずうずわくわくして待ち続けたい。
WSの後、石踊さんとティータイム。一緒に聞いていた片淵さんの仕事について、また、私のお師匠さんの仕事に対する石踊さんの言葉を聞くこともできた。お師匠さんにもこれは伝えようと思う。それ以外にもたくさん聞けた。でも秘密。
楽しい二日間だった。いろいろと縁在る広島で、いろいろな話を聞き、たくさんの人からいろいろなものを託された。
たった二日間のことだったのに、フィールドノーツはあっという間に1冊が埋まってしまった。今に至るまですごく大切なものになっている。
そして、こういう風な縁をつないでくれたお師匠さんにも感謝している。